昭和48年04月08日



 ( ? )から頂きましたことですけれども、帰りましてからどの様な事を伝えさせて頂いたらよかろうかと言う事を心中祈念させて頂いておりましたら、口を入れるならという、口を靴という字を頂いて、入れるという字です、どう言う事になりますか、口を入れる、噛ますという字になりますね、( ? )、口を書いて( ? )だから皆さんに私がもうまあいうなら、もう実を言うたら、今の私は言う事ないのです。
 例えば、和賀心を目指させて頂いて、願わんでも、頼まんでもここに焦点をおきゃ、おかげが受けられるという信心から、この信心を基本にして、あの、今の五つの願いという事に熱中すればいいだけなんですから、ですからもう言う事ないのです。五つの願いの中に願いの、ある意味ですべてが(  ?  )入ってる訳ですから、それが本当に願えればおかげ頂けれる。
 結局おかげの受けるのも、しっかり銘々の信心のところで頂いて行く事だと言うことだと思うんです、(  ?  )を用意せよと、もうだから、(  ?  )それこそ、いっぱいある、(  ?  )、ね、(  ?  )あろうと、噛ますさえできればというのが、現在のような、の信心の指針だと思うんですよ。
 ですからどうでも一つ、あのおかげの受け物をそれぞれの所で一つ頂いて、これが皆さんの( ? )ですけれども、10月の去年の10月の記念祭を境に、なんか一つの飛躍をとげおるものがいろんな意味で現れております、それが今迄にかつてない、まあいうなら、目覚しいなにか飛躍をとげておるようなおかげを実際に頂いております。
 いよいよここの春の御大祭も今年からまた、昔通りに16日という日、それが神ながらに、神定められておったままに、3年あまりでしたか、あの20日になっておりましたけれども、今年からまた16日にさせてもらう、おかげを頂く訳ですけれども、とにかく御大祭をむかえるということは、御大祭がきたから御大祭にお参りをすると、御本部参拝、御本部の御大祭だから。
 御本部に参りをするからおかげを頂くのではない、御本部参拝なら御本部参拝でなかなければ頂けない、おかげの受け物を頂いて帰るからおかげになる。なら大祭を仕えるにおいても然り、次に頂いた事は、この大きなのしがね、こういうふうに(  ?  )反対ね、そねくっとると言った様なのしを頂くんですよ、大きな。こうならにゃならんとがこうなっとると言った様な(  ?  )、というて、これはどう言う事かと言うと、あの、やはり、信心という事は奉仕ということからです。
 真実の御用と言う事は、仕事に、事に仕えると言う事だと言われておりますように、なら、大祭の御用をしてやるというのじゃなくて、させて頂くという訳でじゃないといかんです、その根本的な精神がです、それがなんとはなしね、こうさせてもらおうといいよるけれども、してやりよるような感じがなきにしもあらずだとと言う様な所でおまねき、本当に心から一つ御用を、いわゆる、仕えさせて頂くと言う事によって、神様もまた私共に仕えて下さるというおかげをね、頂きたいと思うんです。
 いよいよ、16日に迫っているここの御大祭、また本気で交際に、また神様そう言うことが(  ?  )ことだと思うんですね、実際は。ですから、神様が今度はホッとして下さる、それを受けさせてもらう、例えば、記念祭を境に合楽で変わった一段の御比礼を頂いておるように、また、春の御大祭を境にです、一段とひとつかますの様々な受け物をね、銘々のところで、ならおかげの受け物とはということを、それはもう皆さん十分頂いておられることですからね。
 そういういうなら、私共の奉仕の精神というものが、いわゆるひねくり返って折る様な奉仕では、奉仕が奉仕にはなりません、ですから一つ本気で心からの信心心からの奉仕をさせて頂いておかげを受け止めて頂きたいと言う風にまあ、念願しております。もう合楽のみなさんに言う事はない、今合楽で言っておる事を自由に、だからそれぞれの所でといってもいい、( ? )ならばね、もうおかげの受け物を銘々で作れと神様は言うて下さっておるのですから、そこんところを一つ頂かれたらいいかと思うんです。
   どうも有難うございました。お疲れ様でした。